店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
その6・日本を放り出されても大丈夫。

三月の羊/芹沢章正 聞き手/白江亜古   2010年5月某日 西荻窪『三月の羊』にて
こうしていろいろと話を聞くと、芹沢さんは「自由だな」とわたしは思うんです。なんか、「本当に自由でいいな」と羨ましく思うんですよ。
いや、僕はそんなに自由じゃないんですよ。もっとヒッピーみたいな人、いるじゃないですか。海外とかへポンと行ったりとか。日本国中を旅していたりとか。僕はそういうふうにはなかなかなれない。
自由な反面、慎重なんでしょうね。
ちゃんと、自分でステップを積んでいっているので。
行き当たりばったりじゃないのね。
それも、山です。
ああ、山。
山です。だから、いきなりエベレストやヒマラヤには行けない、っていうことですよね。最近の人はすぐに北アルプスとか百名山とかに行きたがって、それで結構、事故にあっている。今は携帯が通じるから、すぐにヘリを呼んだりして大変なんですよね。山も本来なら高尾山ぐらいから始めて。次は1000メートル級を何回も登ってみて、丹沢に登って、2000メートル級へ行って、という段階を踏むのが本当なんだけど。
いきなり高みを目指してはいけない、と。
はい。僕はきちんと段階を踏んでいるほうだと思うんですけど、それでも性格的にせっかちだったりもするから、失敗したこともありますよ。雪の時期に富士山に行ったときに、テントを飛ばされました。七合目まで担いで登って、飛ばされないようにテントの中に石を積めておいて、頂上まで行ったんです。頂上を踏んで、頂上の小屋のつららを折って魔法瓶に入れて七合目まで帰ってきたら、テントがなくなっていた。うわぁ、飛ばされてるよ〜〜〜! と焦った瞬間に、そこにいた見知らぬ人が「飛ばされてましたよ」と声をかけてくれて、その人がちゃんと繋ぎとめておいてくれていた。だから、難しいんですよね。自分で立てた計画をきちんとクリアしないと嫌だ、という性格もあるから。山に入って、からだのどっかを傷めて帰ってくる、みたいなことも昔はありました。
無理をするところがあるわけね。
そう。で、そういう痛い経験から、ちょっとずつエスケープルートをつくることを覚えていったんです。1日10時間歩けても、8時間にしておく。8時間歩けても、6時間にしておく。っていうふうに、だんだんだんだん、なってきたんですね。あの、話は変わりますけど、
どうぞどうぞ。
山もそうですけど、仕事以外のことをするのは楽しいんですよね。僕は今、木工をやったりとか、あと、ホイッスルを練習してるんです。アイルランドのティンホイッスル。そういうことをやっていると、まだ自分に“伸びしろ”があることがわかって、これがね、いいんですよ。練習してると、やった分だけ上手になるじゃないですか。ゼロから始めているので。すると、まだ“伸びしろ”があるんだな、とわかる。この年になって、練習してうまくなるっていうのが、とてもいいです。いいです。なんかいいですよ、うん。何かを始めると、まだまだ自分の中に眠っている才能に気づくというか。
そうみたい。以前、インタビューをした人もそう言ってました。人間にはすごいたくさんの才能が眠ってるんだけど、そのほんのわずかしか使っていない、って。
そう、何パーセントしか使っていないーーと言われていますよね。

芹沢さんの使う“伸びしろ”という言葉。判然としなくて、インタビューをそのまま文字に起こしたテープ起こしの原稿では“伸びしろ”“のりしろ”と、わたしは聞き取りながら二種類の表記をしている。“のりしろ”は封筒などを糊づけするときの予備のスペースを指す、昔からある言葉。一方の“伸びしろ”は、ニュアンス的に“成長の可能性”みたいな意味だろうな、と推測がつくけれど。はて、この言葉は一般的なのかしら……と岩波の国語辞典を引いてみたら載っていなかった。で、ネット検索してみたら〈能力を出し切ってはいず、まだ成長する余地があること。平成17年(2005)前後からスポーツ界で使われ、多方面に広がった〉とありました。まだ新しい言葉なんですね。

眠っている才能があるのだから、「自分とはこうである」と自分で決めてしまっては損なのかも。
そう。年を重ねるごとに固定化されてくるでしょう? ルーティンワークも、思考パターンも、発想もずっと同じ。生活形式も一緒。1日の時間の使い方も一緒。そうすると、自然と固まってきちゃうんですよね。からだの姿勢も、生き方の姿勢も。そのことはね、ちょっと考えます。いつもなるべくニュートラルでいたいな、と僕は思っているので。だから今、子供が1歳を過ぎて、脳の活性化に伴って思わぬことをするので、面白いですね。
子供は“可能性”や“未知数”のかたまりですもんね。
ほんと、チャップリンみたいな人が家にいるので。ちょうどね、チャップリンみたいに、大人の靴とかスリッパとか履きたがる。面白いんですよ。名前呼ぶと手を挙げるんです。ところが、違う名前を呼んでも手を挙げる。面白くてね、おもちゃにしてます。

どこででも食べていける。
からだを使って、ちゃんと働けば。

もうひとつ、私が芹沢さんを「自由だな」と思うのは、自由になれないことのひとつに、家族とか家とか、いろいろな要因があるじゃないですか。仕事もそうなんだけどね、ほんとは。その点はどうですか。奥さんの久子さんも最初から、芹沢さんと一緒の気持ちだったんですか?
一緒です。北海道はもともと、向こうのほうが好きだったんです、大学時代から。大学で気球のサークルに彼女は入っていて、毎年夏は北海道に何週間か行っていてなじみがあったんですね。それで彼女は北海道出身の人と結婚したら、好きな北海道に行けると思って、誰かと出会うと「どこの出身ですか」って聞いていたらしい。だから僕が田舎暮らしをしたいと言っていたので、ちょうどよかったんです。
ああ、そうなんだ。うまくできていますね。あと、お店が西荻で浸透したから、ほかへ行くのが恐いという気持ちはなかったのかな。
守りに入るということですよね。子供がいると特に、そういうこともあるのかもしれないけれど。でも僕らはね、なるようにしかならないというか、どうにでもなる、という気持ちでいるんです。
三月の羊店内
どうにでもなる。
はい。結局、根本的なところで、どこへ行ったとしても、自分たちが食べていく分のお金はもらえるだろう、というふうに信じているんです。からだを使って、ちゃんと仕事をすれば。それはもうギリギリの生活かもしれないけれど、でも、食べていくことはできるんです。うん。
できますか。
はい。お金がなぜたくさん必要になるのかというと……。たとえば住宅ローンを組むと、ダンナさんに30年働いてもらわないといけなくて、ダンナさんが死んだら困るからダンナさんに保険をかけるとかね。子供をいい学校へ行かせるために塾に行かせるとか。僕らはもう、そういうことは別にいいので。いい大学に行ったからって、みんなが幸せになれるわけじゃないし。何千万円の家に住めば幸せ、っていうわけでもないと思うので。家はあくまでも装置だし、大学出るのもきっかけのひとつに過ぎないので。それよりも大切なことは、
大切なことは?
自分を好きになることとか、なるべく地球環境に迷惑をかけないで生きていくとか、人に迷惑をかけないで生きていくとか。毎日を楽しんでストレスなく、自分の可能性をいろいろ試すこともいいだろうし。教育とかとは別に大切なことがあると思う。勉強だって、自分たちで教えようと思えば一応はできるんですよね。一応そこそこは勉強しているので。だけどそれとは別に、親である僕らがちゃんと生きていけば、子供にも自然に自分で生きる力が身につくだろうと思っているところがある。なので、お稽古事させなくちゃとか、塾に入れなくちゃとか、全然思ってないんですよね。
ふむふむ。
さっきも僕、山から学んだと言いましたけど、ほんとに鳥から学ぶことも多いし、植物から学ぶことも多いし。自然の中にはすごい普遍的な真理が隠れていて……って、なんか固い話してますけど(笑)……そのことをとても実感しているので。だから、全然恐くないんです。昔ね、聞いたことがあるんですよ。中国の人が世界中にこれだけたくさん散らばって生活しているのは、子供に床屋さんか料理か裁縫のどれかひとつは身につけさせるからだ、って。この3つの職業は、きっと世界の誰にとっても必要なことだから、それを身につけていればどこへ行っても食べていける、って。今の中国ではどうかわかりませんけど。
そうだね、床屋、料理人、裁縫士。どれも必要だわ。
だから僕もどこへ行っても、粉をこねていれば……焼き菓子は世界のどこにでもあるし、パンもどこにでもあるから。そこの土地の人の好みに合わせて作るだろな、と思うから。たとえ日本を放り出されても、どこででも生きていける自信がある。だから全然恐くないんです。
ああ、うらやましい。
泥棒に入られて通帳とかとられちゃっても「まあ、しょうがないかな」ですむけれど、たとえば僕が倒れたらどうする? という話を夫婦ですることもあります。そうすると久子は「そのときは私が働くから」ときっぱり言える人なので、僕はすごくラクなんです。
心強いよね。ふたり揃っていれば、子供を育てながらどこででも生きていける。
と、思っているんです。よくね、求人広告を見ると「35歳まで」とか書いてあるから、わぁ、もう、こういうところで探してもダメなんだ〜、っていう感じなんですけど(笑)。でも、どっかの警備員とかでもいいですし。そう言えば大沼の近くに、すごい古い木造の校舎がある学校があって。その街のホームページを見ていたら「用務員さん1名募集、1年期限で」という募集が出ていたんですよ。「わあ、なんか楽しそうだな」って思いました。毎日、学校のどっかを直したりとか。そういうのもいいんですね。僕は。いいんだけど、でも待っていてくれる人もいるので。
ああ、そうですね。
この間の(閉店日が迫った)終わりの頃、本当にたくさんのお客さんに来ていただいて。みなさん、『三月の羊』という店を愛してくださっていたんだなぁ、と。中には涙ぐんでいた人もいましたからね。「ああ、本当にいい仕事ができていたんだ」って。それでまた「ああ、これならどこへ行っても大丈夫だ」って勝手に思ってしまったんですけど。僕は傲慢ですからね、基本。思い上がってしまうタイプなんで。
ははは。強い人だ。
そう。こういう仕事やお店をやることを、なんか自分で意志を固めて決めてやったように思っていたんですけど、実は違うんだな、って最近は思う。仕事とかお店とか、この場所に、僕が選ばれて演じていたんだなって、そう思うんですね。何のためかというと、僕自身が成長するために、足りない部分を勉強するために。
面白い。自分の意思ではなくて「選ばれてやっていた」みたいなことを言う人は多いけれど、普通は着地点が違いますよね。「自分の意思ではなく、そこにはもっと大きな力が働いていた」みたいなことを言いがちなのに。芹沢さんは「自分自身が成長するため」と言うのが面白い。あくまでも自分。その傲慢さがいいですねー。
いや、ほんと、お店をやることで僕は成長したんですよ。人と接することとか、本来は飽きっぽいのに、お腹痛くても熱が出ても、毎日淡々と仕事をこなしていくような粘り強さとか。どんな人が来ても……(と言いながら目線を上に向けて、天上近くを指し)あそこの梁の上にね、店を始めたばかりの頃はニコちゃんマークのスマイルを描いて貼ってたんです。お客さん側からは見えない場所に。最初はほんとね、ちょっとした一言とかでカチーンと来たりしてたんですよ。久子に「塩をまけ!」とか、塩をまかせたこともあるんです。
へへへ。
三月の羊店内
わりとね、そういうところが僕はあって。
最近はそれはなくなったの?
(変わったのは)ここ2年ぐらいですね。ちょうど子供が生まれる頃から、老子とか、また読み直して。
ははは、老子ですか。
老子とか、タオとか。読んで、「あ、上善水の如しっていうのはここから来ているのか」と思ったり。
そうか、そういうところもあるのね。
20代の精神的にきつかったときに、(なんのために生きるのかという)答えを求めて、ほんと入門程度ですけど、宗教書や哲学書を読んでみたりして。詩を読んでみたりとかもしてました。何回も言いますけど、僕はわりと修行僧タイプなんで。
物事と深く向き合う人なんですね。
だから別にね、からだがきつかったら機械でパンを作ってもいいわけだし。お菓子に使うミックスフルーツだって、何も、果物をきざんで干して作らなくたって、買ってきたミックスフルーツにちょっとお酒を入れて、〈自家製〉って言っているところも世の中にはあるし。ラクしてもいいんですけど。
でも、できない。なんだろうねぇ。
うん、なんなんでしょうね。昔、ビートたけしさんがもう20年ぐらい前に「どっかでトイレ入ったときに必ず掃除して出る」って言ってたんです。それが僕、すごくよくわかって。「自分が汚していったみたいで気持ちが悪い」ってビートたけしさんが言ったのを覚えています。そういう感覚はよくわかります。自分が去るときには、自分が来たときよりも、ちょっと良くなっている状態で去りたい、っていう感じは。立つ鳥あとをにごさず。プラス、ちょっときれいになりました、って。
プラスがあるんだ。
それはね、ここでもちょっとできていたんです。ここね、表のところ、今はきれいな植え込みになっていますけど、入った当初は不法投棄のゴミの山みたいになっていて、バイクとか置いてあったりした。だけど、僕らがこんなふうに店をやっているのを大家さんが見てくださったのか、「これじゃ、お店に悪いから片付けるよ」と言って、ある日、きれいにしてくれて。あそこも植え込みをきれいにしてくれたんですよ。
そうなのか。でも、そういうことですよね。言葉で頭ごなしに「これ、困るんで片付けてください」じゃなくて、そういうことだよねぇ。
人の気持ちって、そんなふうに動くんですよね。「前から気になってたんだ」とか大家さんが言ってくださって。やってくださったんですよ。

(次週に続く)

店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
プロローグ
2011.3.15
その1・Boy meets a his SHIGOTO.
2011.3.15
その2・修業時代と羊の原体験。
2011.3.21
その3・『三月の羊』開店→西荻へ移転。
2011.3.28
その4・エスケープルート
2011.4.4
その5・生活するのに理想の地。
2011.4.11
その6・日本を放り出されても大丈夫。
2011.4.18
その7・パンのひみつ
2011.4.25
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