店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
その2・修業時代と羊の原体験。


- それで、パンの修行にどこかに。

- 入って。もうね、満員電車の通学に辟易していたので、歩いて通えるところ、あるいは自転車で通えるところをずっと探しました。最初行ったお店はお菓子とパンを扱うところで、トントントンと門を叩いたら、とりあえずお菓子のほうに欠員があるから……と。

- ふうん。じゃあ、大きなところ?

- お菓子のほうは親方と僕のふたり。パンのほうは3人いましたね。いつかパンのほうに廻してくれるのかな……と思いつつ、お菓子専門で、そこには3年ぐらいいました。なんにも知らない初心者で入ったから、ほんとにしょっちゅうミスをして、涙がちょちょ切れる日々。

- そこでは一日中お菓子を作っていたんですか。

- はい。主に生菓子でした。基本的なお菓子です。昔風のショートケーキとかモンブランとか。プリンを焼いたり。

- 朝早くから夜遅くまで?

- いや、そうでもないです。9時〜5時でしたね、そこは。

- お給料制?

- 正社員にならないか、って言われてたんですけど、僕はなんか覚悟が決められてなかったせいか、「いやあ、アルバイトでいいです」って。今思うと、そんなにお給料は変わらなかったと思います。時給でやっても。


- そこに3年。仕事は面白かった?

- それなりに面白かった。不思議なもので、お店で毎日作っているものでも、家に帰ってきてね、たとえば「じゃあ家族のために作ろう」と思っても、同じようにできないんですよ。何度もやっていることが。

- なんでだろう?

- てゆうのはやっぱり、お店っていうのは、作業がスムーズにいくようにセッティングしてあるわけですよね。材料とか道具とか。家だと勝手が違う。秤とかもとろいし。それに、粉とかバーッと振りまけないじゃないですか、家だと。そういうことで、ちょっとずつタイミングがずれたりすることが、お菓子の味やできあがりに影響するんだと思った。あ、でも、今だとできます。たぶん(笑)。

- すごい。でも、料理やお菓子作りがもともと好きだったわけではないですよね。

- それでも家でちょこちょこと実験的に食べ物だったり、ちょっとしたDIYみたいなのはやっていたし。母親が編み物の先生なので、家で編み物を習って自分でもやったりとか。

- ああ、じゃあ、手を使うことは結構やってきた。

- そうですね。編み物なんか根気がいりますよ。ずっと座ってやりますしね。結構、誉められていましたよ。毎年編んでたんです、自分のを。

- セーターとか?

- セーターとかカーディガンとか。

- 完全、手編みで?

- 手編みです。棒針で。それで、これが僕らしいなって自分で思うのは、シンプルなセーターを編んだら、次はカーディガンにするとか、ポケットつきにするとか、次は襟付きにするとか、そうやって発展させるやり方で自分なりに凝ったものを編むようになっていったんです。なんとなく自分で探りながら。いきなりエベレストに登るんじゃなく、段階を上げて難易度を上げていくやりかたですね。その発想法は僕、今でもいろんなところで活かしていますね。
焼き菓子はお菓子の原型。
世界中にあるでしょ

- で、まるきりの初心者でお菓子屋さんに入って、最初の修業先に3年間いて。その間に「これを仕事にしていこう」と思った? 仕事に対する想いには揺るぎないものがあったんですか? 途中でやめたりしようとかは?

- やめたいと思ったこと、あるのかなぁ……。しょっちゅう涙を浮かべたりはしてましたけど。

- 厳しかった?

- ミスしたら、もう、台無しじゃないですか。

- 商品だもんね。

- 「お客さんに『レシピが変わったんですか』って言われたよ」とか親方に言われたり。そういうのもあるんですよ、ほんとに。ほんとにちょっとした卵の立て方だったり、合わせ方だったり、焼き方だったりで、お菓子の出来上がりが違ってくる。

- しかも、親方とふたりだけで作っているしね。そういう苦情がお客さんからくると泣きそうだよね、確かに。

- けちょんけちょんに言われます。でも、それがイヤではなかったのか、次の仕事先もお菓子屋さんを自分で探して。そこも家から歩きで行けるところだったんですけど。2軒目はわりとデパートにも出店しているような、いわゆる焼き菓子専門のパティスリーでした。あ、そうですね(と思い出したように)、2軒目の修業先を選ぶにあたっては、焼き菓子の勉強をしたいと思ったんですね、基礎を学びたかった。

- その前は生ケーキだったから。

- 当時、僕はイギリスのアンティークのものとかが好きだったんです。で、自由が丘とかへよく行って。

- ああ、デポーとか、自由が丘にはヨーロッパの素朴ですてきなアンティークを扱うお店がありましたもんね。

- 自分で将来やるとしたら、イギリスの田舎のティーハウスに並んでいるようなお菓子がいいなぁ、と思った。タルトだったり、マドレーヌとかフェナンシェとかサブレとか。ちょっとブリオッシュぐらいはあるようなお店。それで、焼き菓子の基礎を学ぼうと思って、焼き菓子専門のお店へ修行に入りました。そこには5年ぐらいいましたね。

- 長い。結構頑張るよね。


- お菓子屋さんとかパン屋さんで修行をするひとって、一カ所に2〜3年いて次へ移ることが多いんですよ。ここのお店ではこれを身につけて、この店ではこれを……って、だんだん自分の引き出しを増やしていくんです。ずーっと同じところに務めるっていうのは、あんまりない。まぁ、ひとによって違いますけど。自分でお店を出したいとか、コンクールに出したいとか、そういう向上心とか野望がある人は、どんどんどんどん自分から次へ移っていく。あるいはもう、雇ってくれなくても、自分の仕事の休日によその店へおしかけて無償で働かせてもらう。そういうひともいますね。有名店に修行に入ると、ほんと、お菓子にはなかなか触らせてもらえなくて、簡単な準備とか洗い物とかばかり、っていうところもあるんです。そうするとやっぱりお菓子づくりをしたいから、どこか知り合いの店なんかへ行って、休みの日に無償でお菓子を作るとか。好きなひとはね。そういう話も聞きます。

- へえー。芹沢さんも最初の店で3年やって、次へ移ろうと思ったわけだから、極めたいというか、学びたいという気持ちがすごくあったんですね。

- そうです。やっぱり、奥が深いので。特に焼き菓子なんていうのは、お菓子の原型みたいなものですからね。逆にクリームを使った生菓子が普及したのは、たぶん19〜20世紀じゃないですか。お菓子の元々は焼き菓子ですよね。粉と何かを……。

- 何か入れて混ぜて焼くだけ、みたいなね。

- 世界中あちこちに焼き菓子はあるでしょ。

- じゃあ、2軒目の店では完全に5年間、焼き菓子ばっかり?

- そうですね。

- そこもバイトですか?

- そこでは社員に入りました。さすがにちょっと覚悟が決まったんで。30ぐらいになるかならないか、っていう年齢でしたし。

- その時点では、こういう道で自分はやっていく、っていう気持ちが固まっていた。

- そうですね。生活の糧を得るためにこういう仕事をして。一方では、将来、田舎に行ったらこういうこともやりたい、っていうのがあったから勉強をしていました。農業の……まあね、東京ではなかなか実体験はできないから、どうしても机の上の読書というか、勉強しかできなかったですけど。羊を飼う、綿羊協会、畜産協会ですね、そこからテキストを取り寄せたりとか。

- ねえ、そういえばどうして羊なの?
そうなのだ、そもそも「三月の羊」という不思議な店名はどこから来ているのか。フランス(アルザスだったかな?)の羊の型を使って焼く「ふわふわ羊」のパンや焼き菓子は「三月の羊」の看板商品だし、羊型のパンやクッキーなど、「三月の羊」には羊があふれていた。

- 北海道へ行く理由のひとつもそれでしょう? なんでまた、羊を飼いたいんですか。

- 羊、はねぇ。飼いたいと思ってたんですね。なんででしょうね。

- ねえ。なんでそこまでこだわっているんですかね。

- ねえ。

- ねえ、って(笑)。

- それは、ほんとわかんないんです。

- わかんないんですか。

- でも、あの、母親が編み物をやっていたので、よくサザエさんがカツオくんに、毛糸をこう(と両腕を肘から曲げて上げ、両手を向かい合わせる形にして)、

- ああ、こうやってね(と同じポーズ)。

- 今は毛糸は玉で売ってますけど、昔は軽くまとめたかせだったんです。そのかせを両腕にかけて一定の幅を作って、それを巻き取るひとがぐるぐるぐるぐるぐると巻いていって玉にしたんですよね。サザエさんにそういうシーンが出てきたのを覚えてる。カツオくんが両腕を曲げて、手を微妙に左右に振りながら、サザエさんが巻き取るリズムに合わせなくちゃいけないんだけど、子供だから、ついテレビ観てると手の動きが止まっちゃったりして叱られた(笑)。

- あぁ、サザエさんによく出てきたあれをやっていた?

- あれをやってましたね。その後、かせとり機という機械もできて、それもうちにあったけど。大田区っていうことは、ユザワヤのもともとあったところで。

- ああ、羊のマーク!

- なんです(笑)。子どもの頃、母に連れられてしょっちゅう、お教室で使う毛糸の買い出しに行きました。お店の中は毛糸の山でね、迷路みたいになってるんですよ、子供の目から見ると毛糸の迷路。母親が毛糸を選ぶのを、子供だからすごーく長い時間に感じたんですけど、1時間ぐらいだったのかな。それを待っている間に妹といろんな毛糸を触って。それがきっと毛糸というか、僕の羊の原体験。


- 羊と親しい関係にあったんですね。

- それで後日知ったアリス・ファームとかが羊を飼ったりしていたから、とても親近感を。

- なるほどなるほど。

- 羊を飼える暮らしに憧れましたね。

- 北海道のアリス・ファーム、行きました?

- 行かなかったです。結局、行かなかったです、僕は。(アリス・ファーム代表の)藤門弘さんがこっちに来て、ヴォーグの本社で講演をやるときは行ったりしましたけどね。女のひとたちに混じって。

- で、将来はどこか田舎に暮らしたら、農業をまずやって。

- 自給ですね。

- で、あとなに? 生活の糧としてパンを焼いたり。

- お菓子とかね。

- あとは羊を飼う、っていうのが夢としてあって。

- 羊とかね、鶏とか。うちの母親は昭和6年、1931年生まれです。母親の産まれ育ったのは(東京大田区の)池上のあたりなんですけど、今は住宅街ですけど、母の子供の頃は山羊を飼ってたと言ってる。まわりは田んぼで、蛍が飛んでたと言うんですよ。いいなぁ、って思ってましたよね、そういうのを聞くと。うちの母親はね、お嬢ちゃんでした。まだ日本車がないときに、お祖父ちゃんが外国から車を輸入して運送会社をやったり。まだ電話なんかほとんど、よほどお金持ちの人じゃないと使っていないときに、あったりとか。お嬢さんでした。

- お母様は編み物の先生をご自宅でなさってたの?

- えーと、教室を、親戚のビルの一室とかで。

- 芹沢さんが小さいときから?

- ずーっと。ずーっとです。だから夜は妹とふたりで、夜のお教室があるときは9時ぐらいまで終わるのを家で待ってたりとか。土曜日の午後なんかは、給食がないから、近くの親戚の家にお昼ごはんを食べに行ってました。
(次週に続く)
三月の羊 http://rumlamb.tea-nifty.com/

- プロローグ
- 2011.3.15
- その1・Boy meets a his SHIGOTO.
- 2011.3.15
- その2・修業時代と羊の原体験。
- 2011.3.21
- その3・『三月の羊』開店→西荻へ移転。
- 2011.3.28
- その4・エスケープルート
- 2011.4.4
- その5・生活するのに理想の地。
- 2011.4.11
- その6・日本を放り出されても大丈夫。
- 2011.4.18
- その7・パンのひみつ
- 2011.4.25
