店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
その5・生活するのに理想の地。

三月の羊/芹沢章正 聞き手/白江亜古   2010年5月某日 西荻窪『三月の羊』にて

前回までの超簡単なあらすじ。芹沢さんは洋菓子店で計5年間修行したのち、2001年、田園調布で『三月の羊』をオープン。2004年、西荻へ店を移転すると同時に久子さんと結婚。2009年、長男の二丸さんが誕生。西荻でパンやお菓子を作って売りながら、彼は念願の“田舎暮らし”を実現するべく、着々と準備を始めていた。

いつも移住先を探して、あちこちへ行っていたんですよね。
はい。店が休みのたびに。それがいつから北海道に絞られたのかなぁ……。彼女(久子さん)と一緒に初めて北海道へ行ったのが、西荻で店を始めた2004年の夏でした。お菓子作りに使う羊乳を分けていただくために、ご挨拶がてら、8月に北海道の羊の牧場に行って。旭川の、村上春樹さんの……。
あ、『羊をめぐる冒険』?
のモデルになっていると言われているところ。そこで、羊の乳搾りを体験させてもらったりして。それから毎年、夏は北海道へ行くようになったんです。だからきっと、その頃から自分の中で決めていたんでしょうね。もっと前は僕、北海道は頭になくて。家族親戚がみんな東京だし、考えていたのは八ヶ岳とか、あの辺は東京からも近いからいいかな、と思っていたんです。でも、いざ行ってみると北海道はよかったですね。夏のカラッとした感じとか。大地の広い感じとか。うん。で、あるときは自転車で走ってみたり。自転車を持っていって。うん。
北海道にぐんぐん惹かれていった感じですね。
はい。僕は自転車が好きなんですけど、東京ってね、恐くて乗れないんです。車も人も多いし、電柱もあるし。結構、ガラスも落ちていたりするし。北海道で自転車に乗ったときに、向こうでは車の人が道を譲ってくれるのに驚いた。「わあ、なんて優しいんだ」と思いました。道も広いし、自転車で走っていて楽しい。信号がないからスイスイ走れて、距離を稼げるんですよね。
気持ちよさそう。
気持ちいいんです。それで「北海道はいいな」って惹かれていった。そして、ふと気づいたんですけど、自分がいつもお菓子作りに使っている材料って、北海道のものが多いんですよ。粉とかバターとか。「ああ、そうか」と思いました。最近はフードマイレージとか、地産地消もそうですけれど、遠くから取り寄せるんじゃなく、なるべく近くでとれたものを食べようという動きがありますでしょう? 北海道に住んだら、北海道でできる食品だけでお菓子やパンができるんだな、と思った。
でも、なんていうのかしら、「いつか北海道へ行く」と決めても、実際はだらだらしちゃう人が多いと思うんだよね。せっかく西荻に根付いたのだから、と。踏ん切りがつかないというか。
僕の場合は向こうでやりたいことがはっきりしていたので、とにかく、からだの動くうちに行きたいと思ったんです。早ければ早いほどいいんです。今でさえ、ぎっくり腰とかね、去年も3日間ぎっくり腰で寝たきりで。初めてカイロへ行きました。痛かったですよ、骨、ずれたんです。歩けないぐらい。
で、直ったの?
カイロで、ぼきぼきっとやって、骨を入れてもらって直った。
そうか、からだのことがまず。
まず、あって。単に「お店を向こうでやりたい」っていうんだったら、数年後でもよかったかもしれないけど、からだを使う作業だったりとか、向こうへ行ってから経験を積まなくちゃいけないことをやりたかったので。農業にしてもそうだし。わかんないけど、ミツバチにしても。
養蜂もやるつもりなんだ!
ミツバチ、いいですよぅ。
そういう未知のことを始めるにしても、今の年齢ならまだできる。
自然と関わることって、工業製品のように、マニュアル通りにやれば、いつでも同じものができるわけではないですよね。ミツバチでも、花によって蜜を吹く時期が違ったり、気温や湿度なんかで毎年違うみたいだから。やっぱり少しでも早く行って、経験を積まないと。ここでも家庭菜園を1年半ぐらいやりましたけど、やっぱ、肥料とか堆肥とかあげないと作物は大きくならないなぁ、とか、やるうちにわかったことはたくさんありますからね。
家庭菜園はどこで?
自宅は宮前なんですけど、そこの空き地。三階建てのマンションが並んでいる隙間のところを自由に使っていいということだったので。開墾して。
働くなぁ。パンも作ってるのに土地も開墾してる。
毎年の行事として、梅干しとみそも自分で作っているんですよ。今年は北海道へ移るのに荷物が増えるからどうしようか……と久子と話したんですけど。1年間、みそを買わなくちゃいけないのが嫌で、結局、今年も作ったんです。1年分8キロのみそを。去年、梅干しを漬けたときは、家庭菜園で育てたシソを入れました。あれ、面白いんです。ちょっと話が反れちゃいますけど……。
どうぞどうぞ。
梅干しって、シソとお酢を入れると赤い汁が出るんですよね。その汁にしょうがを入れると紅しょうがができる。きゅうりを入れると、きゅうりのQちゃんみたいな漬け物ができる。ひとつのものを作ると、副産物がいろいろできて楽しいんです。で、そのシソは取りだして乾かすと……。
ゆかり?
ゆかりなんです。一石四鳥。
すごいね、日本の食文化は。
すごいです、すごいです。ほんと食べきれないです。食べきれないです、ゆかりなんて。
そうよねぇ。いっぱいできちゃうもんね。でも、ゆかりって言っちゃいけないんですよね。
え、いけないんですか。
商品名なので。シソのふりかけ、みたいな名前にしなくちゃいけないんですよ。
そうなんですか、知らなかった。
でも、そうか、家庭菜園をやって、みそや梅干しを作って。そういうことも全部やりたいから、体力もあって、なおかつ、いろんなことを学んで経験も積めるうちに北海道へ行こうと思ったわけですね。念願の田舎暮らし。自然と暮らすことをやろう、と。
土地も安いですしね。だって、東京都内では家を買うなんて無理ですもん。たぶんローンも組めないでしょうけど。組めたとしても、20年とか30年とか重荷を負わされるのはやっぱり、僕はいつもエスケープルートを作っておくタイプなので(笑)。エスケープルートが断たれちゃうのはよくないんで、僕の場合。
三月の羊店内
逃げ道がないのはダメなのね。
でも、いずれ北海道で家を作ることは考えているんです。建築も半分くらいは自分でやろうと思って勉強してるんですよ。去年から木工教室に行ったりして。
区とかの?
そうじゃないんですけど、東村山にあるお教室に通っていたんです。店の休みの日に。カンナの使い方から習って。面白いです。
ゆくゆくは家も手作りしたい。
そう。で、そういう話をね、今度行くことになった大沼で知り合った人たちとしていると……あ、そうだ、北海道の中でも、なんで大沼にしたかという話もあとでしなくちゃいけませんね。それをちょっと置いておいて話を続けると、大沼のあたりには、僕らと共通の話題のある人たちが結構暮らしているんです。自然農法とか木工とかに関心の高い人たちが。田舎暮らしをしたくても、その土地に住む人と話ができなかったら辛いじゃないですか。その点、大沼には話のできる人たちがいて、移住にあたっても力になっていただきました。親しくなった夫婦の知り合いに、注文制作の焼き菓子屋さんをやっているお母さんがいて、そこの工房を貸していただけることになったり。その関係で住むところもみつかって。
そういう人たちとは、北海道に通ううちに出会ったんですか?
そうです。で、なんで大沼に決めたかという話をしなくちゃ。

道が曲がりくねっていて、起伏があって
海が近くて、街が近いこと。

僕が生まれ育った大田区っていうのは、アップダウンが多くて、坂だらけなんです。○○坂、○○坂と名前のついた坂がたくさんある。それに海。東京湾ですけど、海へも自転車で行けるんです。だから僕は自転車で東京湾へ行って、カヌーに乗ったり、バードウォッチングをしたりしていたんですね。東京の中でもそういうところで育つとね、吉祥寺とか国立みたいに碁盤の目のような、平らな土地って、すごいプレッシャーになる。
どういうこと? プレッシャー?
えーと、碁盤の目っていうと、道がフラットで、まっすぐで。迷路の中にポンと落とされたみたいな感じが僕はするんですよ。フラットだから、向こうからインディー・ジョーンズのような大きな玉がゴロゴロって来たら、もう、押しつぶされちゃうみたいな。逆に僕が育ったところは、道が曲がりくねっていたり、上がったり下がったりしていて。石段や坂を登って振り返ると富士山が見えたり、大きな夕日が沈むところだったり。そういう情緒的なものがありました。
なるほど。そういうこと。
こういう話をするとね、「ああ、そうそう!」って言ってくれる人もいるんです。なんだろう? 真っ平らなところって隠れ場所がないというか、プレッシャーを感じる。
へえー、面白いですねぇ。
碁盤の目って、きついんです。
碁盤の目っていうと、京都とか札幌とかも?
同じです。札幌はね、大都市だから最初から、移転先として頭に置いていなかったんですけど。あと、碁盤の目っていうと十勝。十勝も超碁盤の目です。
移住先の大沼は? 道が曲がりくねっていたり、起伏があったりする?
そうそう。それと、あとね、海。大沼は海も近いっていうのがよかった。自転車でも行けるぐらいなんですよ。最初に「いいかな」と思っていた八ヶ岳は内陸で海がないし。八ヶ岳はずーっとね、片方に向かって斜面なんです。車で行くとそれほど気にならないんですけど、自転車で走ると、ずーっと片方の斜面っていうのはすごくきつい。延々と上り坂だったりするから。これはきついや、と思って。自転車乗りとしては。
でも自転車乗りって、起伏がないほうがラクなんじゃないの? 碁盤の目みたいなほうが。
ああ、それはそうですけど。碁盤の目はラクはラクですけど、でもあんまり走ってて面白くないんですよね。田舎で碁盤の目っていうところは、畑か田んぼなので。だいたい道も大きくて。ダンプとか通ってるのね。
そうか。面白いね。住むところを決めるのにそういう観点は。
だから僕のイメージでは、ある程度の起伏があって、適度に広がりつつも適度に遮られている感じですかね、山とかで。で、僕は街の子なので、たまには街へ遊びに行けるのがいいな、と。そういう要素を満たす魅力的な街はどこかといえば、たとえば旭川、釧路、函館ーー。というふうに考えていくと、雪も少なくて、5〜6年後には新幹線も通ると言われている函館の近辺に焦点が絞られてきた。大沼から函館までは車で40〜50分。特急電車だったら20分。空港までの直行バスなら約1時間。大沼には国道があって、湖があって山があって、海まで自転車で行ける。
ああ、いいところ!
総合的に見て“いいところ”なんです。100点満点なところは絶対にないですから。で、そこに決めた。
いつ決めました?
一昨年ぐらいかな。秋の紅葉の頃に行って、11月に行って、1月の冬休みにも行って、「やっぱ、いつ来てもいいね」って。で、次の夏にちょっと連絡して……。誰に連絡したかというと、ちょうど久子が出産をした頃なので、おむつなし育児とかね、自然育児とか、そういうのをやっている人を僕がネットでみつけたんです。それで「あ、こんな人がいるよ」と教えたら、久子が調べて手紙を出した。「その辺に住みたいと思っているんですけど」という話をすると、その人たちはちょうど僕らと同じ年齢ぐらいの家族なんですけど、家に泊めてくださって。さっきも言ったけど、近所のお菓子工房を貸してくださるお母さんを紹介してくれたり。そういうつながりが生まれました。

かつて保育実践家の斎藤公子(さくら・さくらんぼ保育園設立者。故人)にインタビューしたときに、おむつなし育児などについて少し聞いたことがある。拙書『ニッポン・ビューティ』(講談社)からのその部分を引いておこう。〈ほかにも斎藤さんの保育は、本当に目からうろこが落ちるようなことばかり。生後3〜4ヶ月で赤ちゃんが動き出すと、オムツをとって、早くもパンツにしてしまう。「お尻が濡れたら、そのつど拭いてやればいいんです。そのほうがオムツをしているより、ずっと気持ちいいでしょう? 洗濯? 今は昔と違って洗濯機がしてくれるからラクよねぇ」。また小学校に上がるまで、文字や数字をいっさい教えない。家でも教えるのをやめてもらう。その代わり、たっぷりの水と土と自然がある園で、子供たちは泥んこになって遊ぶ。山をつくったり、大きな穴を掘ったあとで、あるいは絵本を読んでもらって心が動いたら、子供たちは好きな時間に好きなだけ絵を描く。〉

その大沼のご夫婦、おむつなし育児をやっている人は普通の人? そういう育児法を専門にしているとか?
いや専門家ではないですね。自宅出産をしたりして、そういう体験をネットで紹介したり、イベントをやったりとかしている方たち。野菜を作っていて、山羊を飼っていて……。そう、山羊なんですよ。僕と同じような羊好きの人とも話すんですけど、日本で飼うなら実際的には山羊のほうがいい。羊派の僕も実はそう思っているんです。よほど毛糸を使う作家さんとかなら羊もいいんですけど、そうでないなら山羊のほうが有用なんですね。羊は草を食べますけど、山羊はもっと食性、つまり食べるものの範囲が広くって、葉っぱだったり枯れ枝だったり残飯だったり、いろんなものを片付けてくれる。ミルクの量も多くてね、大沼には山羊を飼って、山羊のチーズを作って暮らしている家族もいます。みんな、僕らと同じぐらいの年代。
ふわふわひつじ
そういう人たちは北海道の人とは限らない?
たいてい、カップルのどっちかが北海道出身ですね。それで、向こうで会った人たちが「東京に住んでいたことがある」って言うので「どこ?」って聞くと、だいたい中央線だったりとか、西荻だったりする(笑)。こんなところでそんな話ができるんだね、って。やっぱり同じ周波数というか。
そうだろうなぁ。
さすがにそういうところで「東横線沿線に住んでいた」っていう人には会わないんです。国分寺とか、西荻とか、小金井とかで。
それで、工房も使わせてもらえることになったし、じゃあ、いよいよ北海道へ行くか、と?
向こうの家って、すぐに買えない値段でもないんですよね。数百万円で中古の住宅が出てるんで。だけど、やっぱり住んでみないとわからないじゃないですか。それに向こうでは家はそうそう売れるものでもなくて、貸家でもなかなか入り手がいないみたいです。だからまずは家を借りて、そこに暮らしながら気象条件とか、人の流れとか、便利さとかを実際に見て。それをしてから本格的に腰を落ち着ける、いいところを探したほうがいいんじゃないか、っていう話になりました。
仕事は? 今と同じ感じで続けるんですか?
僕は向こうへ行ったら、つなぎとして全然違う仕事をしてもいいかと思ってたんですけど、「細々とでもいいから、今の仕事は続けて、つないでいたほうがいいんじゃないかな」という家族会議の結論で(笑)。ウェブで田舎暮らしの様子をお知らせしたりとかしつつ、通販なんかでお菓子は売っていきます。
焼き菓子を中心に?
そうですね、当面は。使わせていただく工房にあるオーブンもだいぶ小さいですしね、今までのように陶器の羊型で、パンやお菓子を焼けるパワーはないでしょうし。小さめの焼き菓子がメインになるかな。パンは焼いたとしても、自家用ぐらい。オーブンによって向き不向きもあるし。
それで生活をしていけるの?
足りない分はアルバイトしたりとか。あとね、近くに有機農法をやっている方がいるので、まあ、手伝いながら現物支給でいただいたりとか。家賃は安いですしね。敷金礼金ゼロで、契約の書類もないんですよ。最初、借家の情報をこっちでネットでいろいろ調べてたんですけど、ほとんど出なくて。
ああ、物件が。
別荘の売り物件ぐらいは出てるんですけどね。(賃貸物件の情報がないのは)賃料が安いから不動産屋さんが扱っても儲けにならないんですって。だから不動産屋を通さずに、大家さんがじかに貸してくださる。僕たちは古いおうちを貸していただけることになって。しばらくはその一角をまた「畑にしていいですか」とか聞いて、野菜を育てたりすると思います。

(次週に続く)

店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
プロローグ
2011.3.15
その1・Boy meets a his SHIGOTO.
2011.3.15
その2・修業時代と羊の原体験。
2011.3.21
その3・『三月の羊』開店→西荻へ移転。
2011.3.28
その4・エスケープルート
2011.4.4
その5・生活するのに理想の地。
2011.4.11
その6・日本を放り出されても大丈夫。
2011.4.18
その7・パンのひみつ
2011.4.25
ページトップへ