店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
その4・エスケープルート

三月の羊/芹沢章正 聞き手/白江亜古   2010年5月某日 西荻窪『三月の羊』にて
店をやっていて、嫌なことは?
あ、それはやっぱり、人との……僕の根っこなんですけどね、人ですよね。
人づきあいが得意なほうじゃない、っていうことですか。
もともとね、おとなしい子で。内にこもって本を黙々と読んでいるような。保育園なんかでも自分から「遊びに入れて」って言えるタイプではないので、先生が「あきちゃんも一緒に入れてあげて」と言ってくれる。ずうっとそういう感じ。今でもそうなので、ひとり遊びというか。ずうっとそうでしたね。ひとりで自転車乗ってどっか行ったり、山へ行ったり。
だけど、お店をやっていると人づきあいは必須だよね。あ、でも西荻には「あんまり人づきあいが得意じゃないだろうな」っていう店主が多い印象があるなぁ。
ああ、何人か思い浮かんだ(笑)。でも、そうでないとやってられないところがありますよね、個人店は。お客さんに迎合しすぎても…………。「○○屋」と名乗っていたのが、ある日突然違うことも始めたりするのが許されないと、息苦しくなってしまう。だから僕はここではね、「○○屋」と言わなかったんです。
パン屋とかお菓子屋とか?
そう。
ああ、なるほど。
これはね、自分なりに“いい逃げ場”を作ってあるということです。
ある日、何か違うことをしてもいい、ということですか。
してもいいし、しなくてもいいし。
しなくてもいいのか。
たとえば「パン屋」と名乗ったら、パンをうんとたくさん焼かなくてはいけないんだけれど、「パン屋」と言っていなければ、「はい、売り切れです」と言えるし。
なるほどねぇ。
「パン屋」と名乗っていなければ、ギャラリーも本屋もできたりするし。これもね、山で学んだことなんですよ。いつも“エスケープルート”を作っておかないといけない。
“エスケープルート”?
山で学んだ発想法。たとえば若いときは、自分が1日8時間歩けるとしたら、8時間の行程を組んじゃうんですけど。
はいはい。
三月の羊店内
怪我することもあるかもしれないし、雷雨に合うこともあるかもしれないので、8時間歩けるところを6時間にしておく。必ず、途中で休んだり、万が一のときは山から降りたりできる“エスケープルート”のあるコース設定をする。この山の発想法はとても人生に役立ってる。
へえ、面白い。“エスケープルート”、初めて聞きました。
建築なんかでも(と席を立って壁際へ行き、壁の下方の帯状の部分を軽く蹴って)、これは“はばき”というんですけど。壁とフローリングの床の間って、必ず隙間があるんですね。隙間をなんで作っておくかというと、木が伸び縮みするから。季節によっても、建築物の木の大きさは多少変わるし。そのためにあえて作った隙間を隠すのが“はばき”。まあ、靴とかで蹴ったりしても傷めないように、という目的もありますけど。これも“エスケープルート”ですよね。
それは、山登りをする人には普通に知られていること?
えーと、ある程度やっている人は知っている。最近の人はいきなり、勉強しないで行っちゃうらしいので。最近、山が流行ってるみたいですけどね。
山登りも昔からなさっていた?
うん。富士山に一番最初に登ったのが中学二年生。中学では山岳スキー部でした。冬はスキー、夏も月山で夏スキー、春もスキーで志賀高原。毎月どっかの低山にのぼったりとか。ハードな部だったけど好きでしたね。僕はわりと修行僧タイプなので(笑)。
で、やるからにはちゃんと勉強したりとか。
やりますよ。山の雑誌を購読したりとか、あるときは自転車の雑誌を毎月購読したり。

自分をしばるのは自分。
結局、全部自分なんです。

“エスケープルート”の発想法で、「○○屋」と名乗らないのは最初からですか。
ところが、田園調布の店は横文字で「pastry shop」とつけていた(笑)。ねっ、こんなふうにペストリーと書けば、ペストリーという先入観で見られるし、フランス語でブーランジェリーって書けば、そういうふうに見られるし。パン屋、パン工房、パン店、焼き窯……言葉って、イメージを作ってしまいますよね。しかも「pastry shop」と名乗っていながら、田園調布の店でも『ねこひ』が密かに始まってたんです。

『ねこひ』は章正さんのパートナーの久子さんがやっている小さな絵本店。『三月の羊』の中にひっそりとオープンしている。
http://rumlamb.tea-nifty.com/blog/nekohi.html

久子さんとはいつ?
田園調布時代からお付き合いしてました。それで、こっちに移転するので、じゃあ一緒にやろうって、2004年、結婚と同時に西荻で店を始めたんです。ということは、僕らは次の8月でもう5年?6年? 何婚式だろう? 『ねこひ』は田園調布では木箱ひとつの店でした。それがだいぶ出世して、西荻では3つ4つに。ビルみたいになってますけど。
木箱の絵本のビル(笑)。
絵本もあったりして、「パン屋さん」とかじゃ収まりきれないところがあるから……。
なるほど、だから西荻では『三月の羊』という店名だけにした。でもそれってね、取材に来るマスコミ的には……。
困りますよね。
「なんて紹介すればいいんですか」って絶対に聴かれると思う。
だから逆によかったんですよ。その雑誌雑誌、そのときどきで「カフェ特集」「パン屋さん特集」「プレゼントスイーツ特集」とかいろんな特集があるでしょう? 「絵本を売っているお店特集」とか「アートギャラリーカフェ特集」とか。いろんな企画で取材の申し込みがあった。「うちはこれ」と限定していない分、そういうことになる。
ねこひ
なるほどねぇ。
だけど「何屋さんですか?」とお客さんに聞かれることも多くって。わかるんです、その気持ちも。わかるんですけど……これは食べ物でもよく聞かれます。「何が入ってますか?」って、知らないと食べられない人がいるんですよね。ところが僕はほんとに素直じゃないので「見ていただいた通りです」みたいなね(笑)。パン屋さんだと思う人にはパン屋さんーーというほか、こっちには答えようがないんですよね。
ひねくれ者だ(笑)。でも、気持ちはよくわかります。
嫌われるかもしれないけど(笑)、でもそれは自分が生きやすいように生きる秘訣なんです。気持ちって、そのときどきで変わりますでしょう? 何かひとつに固定しても、いつも自分がそうとは限らない。たとえばですけど、ワイシャツにネクタイで店を始めちゃったら、ずっとその格好でいなくちゃいけなくなったり。たまにはジーンズがいいよね、夏はサンダルがいいよね、っていう幅を作っておかないと僕は続かない。
それは賢いね。きつくなる人って、たぶんそうやって……。
自分を自分でしばっちゃうんですね。こだわりが。
そう、きつくするのは自分なんですよね。
結局、全部自分なんです、自分なんです。自分が自分を苦しめちゃう。あんまりこだわるとね、長く続けるのは大変になってきちゃうな、と思います。
だけど逆を言えば、その「こだわり」というのを持つことによって、自分らしい仕事ができるところもあるのでは?
核は必要だと思います。
普通は恐いんだと思うの。こだわらないことは。
ああ、確かに。ほかと差別化するために、何か“その店だけのもの”は必要ですよね。こだわらないでいくと、ほんとにチェーン店のカフェみたいになってしまうし。
あと、流されちゃうじゃない? 「流行ってるから、うちもマカロン焼かなきゃ」みたいなことになる。
だから、それは自分の中で一線を引かないといけない。僕の一線は、ひとりの人間が“自分の両手でできるもの”しかやらないということ。だから、お菓子やパンの種類を増やすっていうのは、もう、あんまりやりません。季節によって少し増やしたり減らしたりするものはあっても、何か新しいアイテムをプラスするんだったら、その分、何かひとつをやめて、全体の作業量は一緒にする。
だからそういうふうにね、こだわっていないわけじゃなくて、芹沢さんもこだわっているじゃないですか。
はい。すっごいこだわりですよ。でも「こだわり」っていうのは、「シェフこだわりの……」みたいに最近はいい意味で使われているけれど、元々は悪い意味ですからね。「いつまでそんなことにこだわっているんだ」みたいな。「こだわり」って本当は執着。だから本当の意味での「こだわり」は、僕は捨てていきたい。
「こだわり」がいい言葉になっているのは、わたしもすごく気持ち悪い。便利だから、言葉を固定しちゃうのね、マスコミが。でも、「こういうふうにしていきたい」とか、「自分の理想のパンを焼きたい」と思うというのは、いい意味でそこにこだわっているわけで。芹沢さんの場合、それはどんなことですか。
えーと、まずは「自分が食べたいものを作る」っていうのがありますよね。パンって、日保ちがしないので、残ったら自分が食べないといけないじゃないですか。そうすると毎日食べても……よく白江さんがうちのパンを「毎日食べても平気」って言ってくださったのは、それができてる、っていうことだと思うんですけど。僕はね、恐くって、パンはたくさん焼けなかったですね。ほんとに、スコンと(お客さんが)来ないときもあったんですよ。逆に、すぐ売り切れちゃう日もある。それが最初はすごいストレスになっていた。だから、たとえ早く売りきれてなくなっちゃったとしても、「もうこれ以上は作らない」と自分でルールを作りました。
だんだん自分の中で判断していった?
最初、田園調布のときもそうですけど、お店を開いたばかりのときって、スロットル全開みたいな感じなんですね。でもそれでは続かないんです。自分の持っている引き出しの中身を全部ばらまいていたら、やっぱり続かない。だから、いつもお店で見せているのはほんの氷山の一角で、その水面下には無数の引き出しがある。そして、フルスピードではなく、ゆっくりとジョギングするぐらいのスピードや力の入れ方でやっていかないと、続けられないよな、っていうのはよくわかった。
三月の羊店内
お店ではいつも何時ぐらいから働いていたんですか。
だいたい朝7時に来て、11時に店を開けて、夕方6時ぐらいに閉めて。この1年ぐらいは、子供ができて久子が店に出られなかったので、作るばかりでなく僕が接客に出なくちゃいけなかった。
接客以外は、ずっと作っている感じ?
作るのは午前中だけです。店を開けたら、もうできない。西荻で店を始めた当初は、夜の9時10時まで仕事してたんですよ、僕。当時はこの店の上(のマンション)に住んでいて、近かったっていうのもあるんですけど。それで身体を壊したんで、きちんと労働時間を決めて仕事をするようになった。
うちでよく話してたんだけど。そんなに多くない量のパンを高くない値段で売っても、儲けにならないのにね、って。割のいい商売じゃないよね、って勝手に。
本当にそうだと思います。僕はパンは手でこねられる量だけで、たくさん作っていなかったから、お菓子も作っていたからいいけれど、パンだけで食べて行こうとすると大変だと思います。だから、今はどうかわからないんですけど、少し前にフランスですべての職業の労働時間を短縮しようという法律ができたときにね、週に35時間だったかな、1週間に5日働くとして1日7時間、それ以上働けない、っていうことになったんだけど、パン屋さんとかお菓子屋さんは1日7時間じゃ仕事にならないからと例外を認められたらしい。長いんですよね。特にパンは、イーストで発酵させるならまだ早いけど、天然酵母でやっているところがフランスにもまだあるから。天然酵母で、手ごねで作るパンは、すごく手間と時間がかかる。しかもフランスなんか、ほんとパンが安いんですよ。
大変だね、フランスのパン屋さんは。ほかのものの物価が高いのにねぇ。
あ、でも向こうのパン屋さんのチェーン店が日本にもあるけど、そこは高いんですよ。
高いよね(笑)。
東京値段になってますね。

(次週に続く)

店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
プロローグ
2011.3.15
その1・Boy meets a his SHIGOTO.
2011.3.15
その2・修業時代と羊の原体験。
2011.3.21
その3・『三月の羊』開店→西荻へ移転。
2011.3.28
その4・エスケープルート
2011.4.4
その5・生活するのに理想の地。
2011.4.11
その6・日本を放り出されても大丈夫。
2011.4.18
その7・パンのひみつ
2011.4.25
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