店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
その1・Boy meets a his SHIGOTO.

三月の羊/芹沢章正 聞き手/白江亜古   2010年5月某日 西荻窪『三月の羊』にて
西荻で結局、店を何年やったことになりますか。
ここは5年半、ですね。はぁ……(とため息をついて)早いです。
早かった?
はじめ、こんな小さくて、お母さんお父さんに連れられて店に来て、まだよちよち歩きだった子が、もう小学校の黄色い帽子をかぶってきたりしていますからね。
自分たちはあんまり進歩してなくても、まわりがものすごく変わっていくよね。
進歩どころか、もう、どっか痛いとか、そんなことばかり(笑)。体力や体調の現状維持が目標だったりしますもん。僕ね、大きな機械を入れてまでしてパンを作るのは、なんか嫌だったんですよ。そうすると、たくさん作らなくちゃいけなくなるし、たくさん売らなきゃいけなくなるし。なんて言うんだろう、たくさん作ると、ひとつひとつのパンに対して、自分の気持ちが分散するような気がして。それでなるべく機械に頼らず、手でこねようと思っていたんですけど。でもね、年齢的なこともありますし、将来的にはだんだん妥協していかなくちゃいけないのかなと、そのほうがラクかな、って、この2年ぐらいは思い始めましたね。

インタビューをさせてもらったとき、芹沢さんは43歳。西荻の『三月の羊』は奥さんの久子さんとふたりで切り盛りしていた。5年間の営業の間に、2009年3月6日に長男の二丸さんが誕生。西荻を引き払い、長年の夢だった田舎暮らしを実現すべく、北海道の大沼へ移住することを決めたのは、子どもを育てる良い環境を求めたことも理由のひとつに違いない。

芹沢さんとこんなふうに向き合って話すのは、実は初めてだけれど。この間、立ち話をしたときにちらっとおっしゃっていましたね、元々は建築の勉強をなさっていたとか。
建築に興味を持ったのは、高校の図書館で建築の本を見て、なんです。フランスの建築家・コルビジェが1920〜30年代にかけて設計したサボア邸という、四角いミニマルな家を見て衝撃を受けた。家っていったら、三角屋根だとしか思っていなかったのに、サボア邸は四角い箱みたいな家で、屋根も平らで。それで「建築は面白そうだな」と。僕が通っていた学校はエスカレーター式で、大学は経済学部とか文学部とかだったので、そのまま進むのもなんか面白くないな、と思っていたんです。
三月の羊店内
へえ。
長いひとは小学校からずっと来ている学校だったので。また、このメンバーとずっと一緒か、みたいなね。結構、お坊ちゃま学校だったので、付き合いも大変なんですね。みんな、お金があるから。
お坊ちゃま学校とか、お嬢様学校って、わたしは行ったことがないけど(笑)。
キリスト教系のお坊ちゃま学校でした。みんな、社長の息子みたい感じ。高校の通学バックが、ヴィトンとかレノマとかの、でっかいバッグ。
当時で?
当時で。20年前ですよね、すごいお坊ちゃん学校。
え、じゃあ芹沢さん、お坊ちゃんなんですか。
いや、お坊ちゃん、じゃないんです。
ふつうの家?
ふつうです。
それで、エスカレーター式に上の大学へ進まずに、建築のほうへ行った?
専門学校に行きました。行ったは行ったんですけど、建築って実際は自分の作りたいものが作れるんじゃないんだな、っていうことがわかったんです。それ、今思えば当たり前なんですけどね。法律だったり、予算だったり、施主者つまりクライアントの意向だったり、構造的なものだったり。特に街中だと、法律で建物の形が決まっちゃうみたいなところがある。
私も全然知らなかったんだけど、これから新しく建てる家はサッシじゃないといけないんでしょ?
いろいろと義務づけられているんです。阪神大震災以来、土台を基礎にくっつけないといけないから、法隆寺とかのお寺みたいに、石の上に土台の柱を載せるだけ、みたいなことはもうできない。あれはあれで利点があって。地震が起きたときは、ただズレて落っこちるだけなので、上の建築物はそれほど損傷がない、っていうことみたいですけど。
それで、えっと……。
建築の専門学校を卒業して、二十歳ぐらいになったときに、ちょっといろいろ厳しい試練を迎えまして。
おぉ。二十歳で試練が。
もうね、ほんとに毎日、「死にたい」「死にたい」って思っている時期があったんですよ、僕。6年間ぐらい。なんにもできなくて。
三月の羊店内
それは、やりたいことがみつからないとか?
じゃあなくて、個人的なことですね。
失恋とか?
ほんと、個人的なことです。それで、死にたいと思っていても死ぬ勇気がないし。まだ学校を出ただけで何もやってないから、せめてもうちょっと頑張って、一歩でも自分が生まれてきたあかしを残したい、と思った。「じゃあ、どうやって生きようか」っていうふうに考え始めたところから、田舎暮らしにつながっていくんです。

「あ、あんなやり方もあるんだ」って、
団塊の世代にひとたちを見て思った

僕が二十歳の頃って、団塊の世代のひとたちが四十ちょっとぐらいの年齢になった頃なんです。それで、彼らが田舎で暮らしながらやってきたようなことが、その頃には成果を上げて、形になって見えてきて、マスコミに取り上げられるようになってきました。

 ちょっと戦後史みたいになってしまうけれど、知らないひとのために説明しておこう。日本は第二次世界大戦後、焼け野原から急速な復興をはたし、欧米先進諸国に追いつけとばかりにぐんぐんと高度成長に拍車をかけていった。そんな60年代70年代にはベトナム戦争などの影響もあって、大学紛争や市民運動がさかんに起こった。当時、学生だった団塊の世代には、この時期に新しい価値観に目覚めたひとたちがたくさんいた。先へ先へと進むことばかりを賞賛している世流に逆らい、都会を離れて農業を始めたり、就職しないで生きる道を模索したり。芹沢さんが話しているのは、主にそういうひとたちのことだ。

自分で家具を作る人や、有機農業に取り組む人や、天然酵母のパンを焼いているひとたちがいるのを、僕はメディアを通して知って。「あ、あんなやり方もあるんだ」と思ったんです。それで自分も何か手に職をつけようと思った。最終的には田舎で暮らしたいと思っていので、田舎でもできるのは陶芸か木工かパンかな、と。食べるものだったら、どんな土地でも需要があるだろうし、自分が生活していく分ぐらいはなんとか収入を得ることもできるかな、って。それでパンをやろうと思ったんです。
その頃、団塊の世代の人たちがやっていたことって、たとえばどんな人たちが芹沢さんの目にとまりました?
たとえば北海道のアリスファーム。あそこのひとたちは羊を飼ったり、家具を作ったりしてましたよね。あるいは飛騨高山で家具を作っているオークヴィレッジとか。あと、ナモさん(注・西荻窪『ほびっと村』1階の自然食品店、長本兄弟商会店主)と一緒に『長本兄弟商会』を起ち上げた詩人の山尾三省さんが、屋久島へ移り住んで農業をしているのが紹介されていたり。あとは……そんな有名じゃない人たちでも、たくさんいましたね。
あ、その前に、芹沢さんが田舎暮らしをしたいと思ったのはどうしてですか?
やっぱりね、人、
人?
の、視線が恐い時期があって。
ああ、人の視線が。
そう……ですね。東京の家なんて、隣の家までの間隔が1メートルぐらいだから、夏なんか窓を開けていても全部聞こえるじゃないですか。だから、しずかーに、ひっそり暮らす感じの、なんかそういうのが窮屈に思えたりとか。空がとても狭かったりとか。僕は生まれ育ちが大田区だったんで。自転車が大好きで、中学の頃から鎌倉だ、江ノ島だ、横浜だ、自転車でしょっちゅう行ってたんです。空の広いところ。多摩川とか、海のほうに遊びに行って。たき火の練習をしたりとか。流木で。やってたんですね。
三月の羊店内
生まれたのが大田区? 都会のひとなんですね。
でも、23区ではのんびりしたところなんですよ。
まず“田舎で暮らす”ということが第一にあった。
そうですね。山とかも好きですし。鳥も好きだし。実家にいた頃は自分の部屋の外に餌台を置いて、いろんな餌をのせてみて、どれが鳥に一番人気か、みたいなことやってたんです。乾燥の米粒、炊いたご飯、うどん……。やっぱり柔らかい方が人気でしたね。米粒よりは、炊いたご飯のほうを先に食べました。
そう? 雀なんかよく米粒食べるけどねぇ。ほんとは炊いた方がいいのか。
わからないですけど(笑)。話は反れますけど、市販の鳥の餌に麻の実が入ってるの、知ってます? 実家で鳥に餌をやるときに、あれがこぼれて麻が植えてきて。麻っていったら、あれ、大麻か?なんて。誰かに通報されないかな、と心配になったり。
それこそ、私が高校生ぐらいのとき、西荻の本屋にはそういうことが書いてある本がありましたよ。鳥の餌の麻の実で、密かに大麻を育てる方法が書いてあったりする(笑)。
僕は育てていたわけじゃないけど(笑)、麻って、すごい伸びるんですよ。1日で20cmとか30cmとか伸びちゃう。あれを忍者は毎日飛び越えて、
練習?
跳躍の練習をするんですって。翌日にはまたうんと伸びるから、それに合わせてどんどん跳べるようになる。そういう話を聞いたことはありますね。

(次週に続く)

店主・芹沢章正さんとの長いおしゃべり
プロローグ
2011.3.15
その1・Boy meets a his SHIGOTO.
2011.3.15
その2・修業時代と羊の原体験。
2011.3.21
その3・『三月の羊』開店→西荻へ移転。
2011.3.28
その4・エスケープルート
2011.4.4
その5・生活するのに理想の地。
2011.4.11
その6・日本を放り出されても大丈夫。
2011.4.18
その7・パンのひみつ
2011.4.25
ページトップへ